支店ダイアリー

【総合企画】「花燃ゆ」談義!

先日、社内で幕末の長州に興味の有る有志で、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に付いて一献傾けながら熱い「花燃ゆ談義」を行いました。
改めて幕末の長州藩で高い志を持った若き獅子達が多く居た事に感激・感動し大いに語り合った。

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■吉田松陰と松下村塾

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身分に関係なく学ぶことができ、多くの幕末志士を輩出した松下村塾。
吉田松陰の叔父である玉木文之進が創設し、1857年に吉田松陰がこれを引き継ぐ形で師事にあたった。
吉田松陰が師事したのは1年程だったが、この間に、高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末志士、伊藤博文、山縣有朋といった明治維新後の日本を作った偉人らの多くが松陰から学んでいた。

■高杉晋作
1839年9月27日〜1867年5月17日(享年27歳)

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長州藩士・高杉小忠太の息子として生まれる。
13歳の時に明倫館に入学し、その流れで松下村塾に入門、松陰からの師事を受けた。
1862年に上海へと渡り、植民地化しつつある中国の現状に大きな影響を受けた。
帰国後、奇兵隊を結成、尊王攘夷活動を展開していく。
1865年には、長州藩内における幕府恭順派を一掃、長州藩の実権を奪取し、藩として倒幕運動を掲げることに成功した(功山寺挙兵)。
ただ1867年、大政奉還が行われる約半年前に持病の肺結核によって亡くなった。

■久坂玄瑞
1840年1月5日〜1864年8月20日(享年25歳)

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長州藩医・久坂良迪の息子。
家族全員を病で亡くし、15歳にして久坂家の当主となった。
松下村塾に入門。
吉田松陰は、高杉晋作と久坂玄瑞を「村塾の双璧」と称し、その才能を高く評価していた。
その後は高杉晋作らとともに尊王攘夷活動を行った。
1863年の八月十八日の政変によって、京における長州藩の影響力が低下していく中で、失地回復を図るも失敗。
薩摩・会津藩との戦いに発展(禁門の変)し、長州藩の敗北濃厚となる中で自刃した。

■伊藤博文(伊藤利助)
1841年10月16日〜1909年10月26日(享年68歳)

周防国(現山口県)の百姓・林十蔵の長男として生まれる。
家は貧しく、小さい頃に奉公に出されていた。
13歳の時、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となったのに伴い、武士の位となった。
1857年、江戸湾警備のため相模に派遣されていた際、来原良蔵と出会い、その縁で松下村塾に入門する。
高杉・久坂らと親交を深め、以後、尊王攘夷活動を展開していく。
1863年、長州ファイブの1人としてイギリスに留学する。
そこで英語を学ぶとともに、日本とイギリスの国力の差を思い知り、開国論者となっていく。

■山縣有朋
1838年6月14日〜1922年2月1日(享年83歳)

長州藩士・山縣有稔の長男。
武士の位ではあるも、足軽以下の下級武士であった。
槍術で身を立てようと、小さい頃より武術稽古に励んだとされる。
1858年に松下村塾に入門。
生涯に渡り「松陰先生門下生」を自認するなど、松陰を慕っていた。
1863年には奇兵隊に入隊し、頭角を現す。
明治維新後は軍人として名を挙げ、大日本帝国陸軍の発展に寄与する。
山懸自身は「元帥陸軍大将」まで登り詰めた。
日清戦争にも参加。
当時56歳ながら第1軍司令官として指揮を採った。

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また、幕末の長州藩に於いて他にも活躍した、

・桂小五郎(かつら こごろう)/木戸孝允(きど たかよし)、
・楫取素彦(かとり もとひこ)/小田村伊之助(おだむら いのすけ)、
・前原一誠(まえばら いっせい)
・吉田稔麿(よしだ としまろ)
・入江九一(いりえ くいち)、他

が明治維新の礎と成っている。

今後の大河ドラマ「花燃ゆ」がどのように展開されるか、山口県民として注目し、是非多くの人に「花燃ゆ」を観て頂き、長州人の心意気をお楽しみ頂きたい(視聴率で苦戦してるみたいですので)。

又、「花燃ゆ」談義に参加したい方はお知らせください(次回開催は未定ですが!)。
                                           
■総合企画室 福田

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